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2006年 05月 29日
・・・ キラキラ編(パリ)
17:10 定刻通り、パリはモンパルナス駅に到着。(さて、我が縄張りたる北駅周辺に向かわねば)と、すたすた地下鉄への階段を降りる。 メトロ(地下鉄)は、ちょうどラッシュの真っ最中。自分の向かいたい方向には、どうあがいても行けず、怒濤の人並みに押し流されて、メトロの4番線に乗ってしまう。 お気楽な僕は「まあ、いっか」とあきらめるも、路線図で調べてみると、なんと、この電車は目的地の北駅で止まるみたいじゃないですか。普段から、おこない良く生きてる人間は、どんな事に遭遇しようとも、うまくいくものなんですね、お母様。 「パルドン、=すいません」を連発して、込み合う地下鉄から何とか降り、我が北駅にたどり着く。ごみごみした街並み、雑多な人種、ここにたたずんでいるだけで、奇妙なまでの安心感が沸き 、深呼吸するたびに心が落ちついてくる。また、帰ってきたぞ、北駅よ。 (シャワー、トイレ付き)で200フラン以下の安ホテルを見つけようと歩き回るが、さすがはパリ、そんな安ホテルは全然、見当たらない。しょうがなく、この前のおじちゃんのホテル(宿)に行く事にする。 ホテルに入ると、おじさんは僕の事を覚えていてくれ、喜んで迎え入れてくれる。そして、更に、この前よりもいい部屋(トイレに、バ、バ、バ、バス付きでやんす、そう風呂ですよ風呂。あー、もぉー最高に嬉しい、一ヶ月ぶりのお風呂。お湯に浸かる事ができるのね)に同じ値段(200フラン)で泊まらしてくれる。おじさん、ありがとう。 早速、お湯をためて風呂に入る。いやぁー、天国、極楽、夢心地、気持ちいい〜。やっぱ日本人は、シャワーより風呂だよね。なんて気持ちがいいんだろう、満足、満足。今までの旅の疲れが、体からお湯に溶けで流れていくような感じがした。それくらいの気持ちのよさだった。 19:00 風呂に入れた喜びで、はしゃぎすぎた僕に、こんどは腹の虫が「グーグー」と音を立てて襲いかかってきた。「待ってろ、今、美味しいところに連れてってやるからな」と彼を慰めつつ、急いで近くのカフェレストランに行く。 ムニュ(生ガキ、サーモンのクリームソース パスタ添え、アイスクリームで90フラン)を頼む。初老の給仕さんに、フランス語の本で調べた「この料理に合うワインをください」を、たどたどしく言ってみる。給仕さんは、ニッコリ微笑みながら、ポンと胸をたたき、「任せなさい」と意思表示してきた。 運ばれてきたワインは、シャブリだかって白ワインのハーフで、それを飲みながらの生ガキ、「やめられまへんなぁー、のう越後屋、そちも悪よのー」と一人悪代官を演じたりして、狂いかかってしまう。あんなに嫌いだった生ガキが美味しくて、美味しくて、たまりません。 メインのシャケ、デザートのアイスクリームも食べ終え、食後のコーヒーを飲んでくつろいでいる所に、僕と同じ日本人らしき旅行者のお兄ちゃんが、こきたないジャンバー姿(そんな僕も汚いけど)で入ってきた。ディナーを囲む白人達は露骨に白い目で彼を蔑み、(俺もあんな風に見られているのか、もう少し、ちゃんとせねば)と、思わずにいられなかった。『人の振り見て我が振り直せ』とはこのことか。次は我が身、背中が寒い。 21:00 いたいけな、さまよえる僕の心が、「あと、ほんの少しだけ酒を飲ましてくれないか、ほんの少しでいいんだ」と、訴えかけてきた。 「何だ、君も飲み足りなかったのか」と、意見の通じ合った二人の向かう場所は、宿のBAR。夜な夜な人々が集い、たむろする酔っぱらい達にまみれ、ビールを痛飲する。 「君はベトナム人か」と、僕の隣で酒を飲む、50歳を少し越えたくらいの赤ら顔をした、おじさんが声をかけてきた。(そっか、俺ってベトナムの人に見えるのか)と、しきりに感心しながらも、「ノン、ノン、ジャポネ」と答える。すると、そのおじさんは、「おー日本人か、それなら俺の時計は、本当に日本製、何だろうか」みたいな事を聞いてきた。その時計を見せてもらうと、ローマ字で「アライ」と安っぽく書いて(アライなんてメーカーは聞いた事無いぞ)あり、何と、計算機まで付いた代物。ニコニコと僕の顔を見るおじさんに、「ノン、ノン」なんてさすがに言えず、「ウィー、ジャポネ」と、うそをついてしまう。ごめん、おじさん。 23:00 部屋に戻り風呂に浸かる。何もすることが無いので風呂に浸かったまま、壁の模様を下から数えていく。途中で数を数え間違えては、また初めから数えなおしていく。意味もなく飽和した時間がただ過ぎていく。俺は大丈夫なのか・・・。 1月7日(火) 9:00 部屋の窓を開ける。ホテルとホテルの隙間から見えるパリの空は、今日も曇り。そんな天気でも、とても気分が良いのです、僕は。だって、朝から満々とお湯を湛えた風呂に浸かってるんですもん、そりゃぁ、気持ちが良い。 ダラダラと長湯を楽しむ。さすがに一時間も浸かっていると、お湯の温度が下がってきてしまう。ここは昔ながらの安宿だけあって、部屋が異常に冷えるのです。ザブッと風呂から上がり、震える体に急いで服をまとい、ホテルを出る。そして、地下鉄に乗り、二度目のオルセー美術館に向かう。 「オルセー美術館は、早めに行くと並ばずに入れるよ」と、昨日、レストランで一緒になった日本人観光客さんに教えてもらってて、その通り「うそ」と、思えるほどすんなりと館内に入る事が出来た。 三階に展示してある印象派を中心に、しつこく見て回る。ルノワール、モネ、マネ、ドガ、シスレー、セザンヌ、ルドン、ロートレック・・・この前買ったオルセ−美術館の本で勉強しただけあって、どんどん名前と作品が一致する。やっぱ本で見るのと、実物を見るのとでは、一味も二味も違い、全身の力がへろへろと抜け落ちてしまうくらいの感動に包まれる。ほかの美術館に貸出中の作品(ルノワール、田舎での踊りなど)が多数あり、残念、残念。また来るぞ、オルセーへ。 13:00 オルセー美術館を出る。すきっ腹を抱えた僕は、街角のパン屋さんに入り、「あーでもない、こーでもない」とサンドウィッチ(チーズ、ハム、レタス)を作ってもらい、頬張りながら、エッフェル塔まで歩く。 観光客でごった返すエッフェル塔の前を、さらっと横切り、(ブローニュの森、近くにあるマルモッタン美術館に行こうかな)と地下鉄に乗る。 目的地に到着。こぢんまりとした小さな、このマルモッタン美術館には、モネが印象派を名乗るきっかけになった歴史的な作品、「印象、日の出」が展示してあり、興味深く見る。この作品は過去に一度、盗まれた事があるらしく、しっかりとガラスケースに入れられていた。もうルパン三世でも盗む事はできません、あしからず。 40分ほど鑑賞してから、マルモッタン美術館を出て、街をふらふらと歩き回る。近頃、日に3,4回、道を尋ねられたり、時間を聞かれたりする。それも、ほとんど外人さんばかりで、まあ、この鼻の高さ(うそ)、「何年もパリに住んでいるんだぞ」と思わせてしまうぐらいの、堂々とした物腰。話し掛けられても仕方ないか、ふっふっふっふっ、自己満足。 18:00 東駅並びの鞄屋の店先に置いてあった、僕にお似合いの陳腐でカッコの悪いリックサック(なんとPARISと刺繍してある)を70フランで買う。何だか愛着が湧くそのリックを抱え、スキップしながらホテルに戻る。部屋に荷物を置き、また、街をうろつき歩く。 パリ市民達の流れに逆らわず、ルーブル美術館の近くをさまよい歩いていると、まるでデパートのようにきらびやかに輝く、アンティークショップビルを運良く発見する。 その洒落たビルにひとたび足を踏みいれると、そこには僕の好奇心を揺さぶる、絵画、西洋アンティーク、宝石、陶器など、各国の骨董品が山ほど置いてある。 「きっとここにはあれがあるな」と、確信した僕は、隅から隅まで見てまわり、遂に見つけました、日本刀のテナントです。うひょ〜、ありました、ありました。 最初、遠巻きから眺め見るだけで我慢しとこうと思ったが、刀剣の青白いきらめきにはかなわず、ふらふらとそのテナントに入ってしまう。 5坪ほどの狭いテナントには、映画監督のスティーブン・スピルバーグに似た、40歳代くらいのおじさん(店主)が椅子に座り、怪しくうろつく僕を鋭い目で牽制してきた。そんな目にも関らずガラスケースの中を覗くと、6本ほどの刀が重なり合う様に置いてあった。 「へぇ〜、奇麗な丁子刃だなー。この刀は備前伝だね。こっちの美濃物の刃は曇ってるな・・・・・・」と、刀剣の専門用語をわざとらしく呟き、店主の顔をチラチラ見る。すると、さっきとはうって変わり、ニコニコと笑顔で話し掛けてきてくれたのだ。 すべての刀剣を一通り見せてもらう。この店主の話はフランス語なのだが何故だか通じるのだ。刀剣用語のやり取りが大半だからフランス語なんて全然関係なく、八割がた意味が分かる。人の話が理解できるって事は本当に良い事です。 気持ち良く話に付き合ってくれた、スピルバーグさん(名前がわからないので勝手につけた)に何度もお礼をして店を出る。あー、腹が減りました、ホテルに戻ろう。 20:00 満員の地下鉄に揺られ、ホテルに戻る。パリ最後の夜ということもあり、いつものカフェレストランには行かず、ちょっと高めのレストランに入る。 従業員に案内され、窓際の席に腰掛け、150フランのムニュ(魚のスープ、ビーフステーキ、アイスクリーム)と白ワインのハーフを頼む。ふとテーブルの上を見ると、グラスが汚れていた。 「ムッシュ」と、若い給仕さんを呼び、新しいグラスに換えてもらう。が、換えてもらったそのグラスには、ベタベタと指紋がついている始末、もぉー気分が悪い。 すぐに「ムッシュ」と、語気も鋭く給仕を呼びつけ、グラスの汚れを指で示す。分からんと思うが日本語で、「やる気あるのか、君は」と真剣な顔で言ってみるが、当たり前の如く通じてない。やっぱりレストランは気分で食事するとこだね、出てくるものすべて美味しく感じない。こうやって書いてるのも馬鹿くさくなってきた。こんなとこで食べるんだったら、街角でサンドウィッチを買った方が良かった、早く出よう。 給仕にお勘定を頼み、レシートを見ると180フランの請求がきた。こまかいお金が無く、気前のいい僕(そんなこと、自分で言うな)は、200フランを渡して、おつりは奴等にチップとしてくれてやる。 給仕の兄ちゃんは、ヘラヘラとした笑顔を僕に振りまき、「メルシー、ボク」なんて言ってきやがった。誰に「ありがとう、ぼくちゃん」って言ってやがんだ、テメーは。最後の最後まで気分が悪い。 *後日、わかった事だが、「メルシーボク」とは、「ありがとうございます」という丁寧語だと判明した。 1月8日(水) 7:00 起床。とりあえず、風呂に浸かりながら、一時間ばかり本を読む。ヨーロッパ最終日だというのに、妙に心が落ちつきます。 湯冷めする前に、すばやく服に着替え、下のカフェで朝食のクロワッサンを無造作に頬張り、カフェオレで流し込む。カフェの鏡に映る、自然で落ちついたその僕の姿は、自分でも惚れ惚れするほどカッコよく、小粋なパリにとてもマッチしてしまう。 旅の荷物をまとめ、宿をチェックアウトする。飛行機の出発は午後7時15分と、まだまだ時間がある。 「荷物、預かってちょうだい」と、フランス語の本を読みながら、おじさんにお願いする。 「ウィ、ウィ」と、快く了解してくれたおじさんに「メルシー、ありがとう」を連発し、肌寒きパリの街角へ足を踏み出す。天気は曇り。初めのロンドンから最終日のパリまでと、ずっと曇りばかりの天気だったが、そんな事は何も関係の無い事なのです。どんな天気の中でも、「見る事の真実、歩く事の真実」は何も変わらないのです。まだ、僕は歩けます、まだ見てまわれます、時間のある限り。 10:20 オランジェリー美術館に到着。「ランジェリー」と、エロそうな名前にひかれ、ここに来てしまう。お客さんは、8:2の割合で日本人が多く、まるで日本の美術館だ。同じ日本人として恥ずかしい事だが、見学者のマナーがとてつもなく悪く嫌になる。長椅子に横になり眠る奴、走りまわるガキ、「早く、写して、写して〜」と、大声で喋る奴と、多くの無法な振る舞いに、「モネの水蓮」をさらっと見ただけで外に出る。しっかりしようや、してくれよ、日本人よ。 シャンゼリゼ大通りからグラン・パレ(科学博物館)の方に曲がり、セーヌ川に架かるアレクサンドル3世橋を渡る。そこにはナポレオンが安置されていることで有名な、アンヴァリッド廃兵院、皇帝教会が見えてくる。物の本によると、アンヴァリッド廃兵院とは、時の皇帝ルイ14世が負傷兵の収容と、戦死者の供養の為に建てたそうな。 近くの軍事博物館にて、共通チケット(博物館、教会)を購入し、いざ教会へ。 教会の地下に降りると、壮麗な棺が見え、その中で彼の遺体は、永久なる眠りに就いていた。英雄とまで謳われた彼の今は、ただの見世物でしかなく、一抹の悲しさが不意にわいてしまう。 教会を後にし、軍事博物館を見学する。世界中の武器(もちろん、日本刀もあった)があったり、中世のヨロイが何十も飾ってあったりと、思いがけず面白い。ナポレオンの帽子やマントも見る事ができるそうだが、この日は清掃中とのことでダメ。でも、それを差し引いても、抜群に楽しめる穴場の場所です。 13:00 博物館のカフェで、サンドウィッチとコーラの昼食を取る。 腹八分目で食事を終わらし、凱旋門に向かい歩く。そこから凱旋門、オルセー美術館、ノートルダム寺院、ポンピドゥー文化・芸術センター、スケベ通り、北駅前のホテルの順番に巡って歩き、別れを告げる。 15:40 さてさて、飛行機の時間も刻々と近づき、パリの街ともお別れです。ホテルに預けておいた荷物を取りに行き、預かってもらったお礼ではないが、途中で買った苺ケーキ(五個)をおばあちゃんにプレゼントする。最初、泊まった頃のおばあちゃんは、とても感じが悪く素っ気なかったが、2回目の宿泊となった今回は大違い、この家族の中で一番愛想良く接してくれた。 おばあちゃんは、「またおいでよ」みたいな言葉と、両手いっぱいで包みこむ温かい握手を僕にくれた。不意に涙がこぼれ落ちそうになった僕は、「オ、ルヴォワール、マダム=さよなら、おばあちゃん」と、足早にホテルを後にする。 北駅でシャルル・ド・ゴール空港行きのチケットを買い求め、RER(郊外急行線)の2等席に座る。隣の席のおばちゃん2人組(後で聞いたことだが、イタリアのミラノに行くそうだ)が「ジャポネ」と、話し掛けてきた。 「ウィ、ジャポネ」から始まる、僕の持つすべてのフランス語を駆使して、何とかコミュニケーションをはかろうとするが、あまり意味が通じないらしく、おばちゃん2人組はちんぷんかんぷん。僕の年齢、ヨーロッパの何処と何処歩いたのか。そして、面白かったか。おばちゃん達は何処に行くのかを話す。そうこうするうちに、シャルル・ド・ゴール空港に到着し、おばちゃん達と別る。 途中、第二ターミナルへの行き方が分からないという、日本人観光客(おねーちゃん2人組)に遭遇。 「僕もそこに行くんですよ、いっしょに行きましょうか」と、知ったかぶりして、エアバスに乗り、連れていってあげる。これで巧い事、連れてけたからいいけど、間違ってなくて本当に良かったぁー。 16:50 第2ターミナル・Aに到着。JAL のカウンターで、エコノミークラスの列に並び、搭乗手続きをする。が、 「アズマ様、このチケットはビジネスクラスですよ」と、チケットを渡した金髪おねえさんが日本語で教えてくれた。 「えっ、ビジネス、ビジネスクラスですか」と、自分の耳が信じられない僕は聞き返す。金髪おねえさんはやさしい微笑みで肯いてくれた。帰りもビジネスクラスとは運がいい、ラッキー。 待ち合いロビーの長椅子に深く腰掛け、目を閉じる。ロビーには、帰国を前にして、たくさんのおみやげと思い出を、胸いっぱいに抱えた観光客さん達が、喜びの声をあげていた。その歓声が、僕の耳に届かなくなった時、この一月足らずの旅行で体験した、良い思い出、悪い思い出一つ一つがキラキラと輝き、頭の中を駆け巡りだしたのです。果たして、この体験が正しかったのかすらさえ、今の僕には分からない。ただ、道に沿って流れ歩いていただけのこと、ただ、それだけのことだったように思う。けど、面白かったな、ホント、面白かった。そうです、僕はまだ歩き足りない、何も見てないんだ。 18:40 外人の空港職員さんが、「お客さん、お客さん、日本行きJAL426便に乗られるんですか、時間ですよ」と、長椅子で横になり、眠っていた僕を揺すって起こしてくれた。 「ボンジュール、ムッシュ」と、僕は不意に答える。 職員さんは、「ボンジュール、乗り込みが始まってますよ。ところで、観光で来られたんですか」と、流暢な日本語で聞いてきた。 寝ぼけてる僕は、「ノン、ノン、アイアムはツーリスト、ツーリストです」と、アホみたいな事を答えてしまう。 「ツーリストですか、また、パリに遊びに来てね」と、職員さんは手を振りながら、自分の仕事に戻っていった。旅は嬉しいものです。 やばい、搭乗時間です。もう僕は後ろを振り向かない。だって、ツーリストなのだから。 ひとまず終わり。 アメリカ編に続く。 #
by hidetruffe
| 2006-05-29 08:53
2006年 05月 29日
ステーキの気持ち編(ボルドー)
19:36 ワインの都、ボルドーに到着。頭の中に農村とばかり描いていたボルドーの街のイメージよりも、遥かに遥かに大きく都会的な街だった。 駅前通りにある2つ星ホテル『サン・マルタン』に入る。フロントのおじさんは満面の笑みをうかべ、「よくきたね」と迎え入れてくれ嬉しくなる。一泊、(トイレ、シャワー付き)で170フランと安いが、それでいて部屋がとてもきれいでよろしい。昨夜、泊まったマルセイユのホテルが余りにもひどすぎたから、よけい良く感じるのかしら。とりあえず、シャワーで旅の汗を流し、一番見栄えのいい服を着て食事に出かけましょうか。 駅前のレストランに入り、ムニュ(白いチーズのサラダ、鮭のソテー、チョコレートアイスクリームで90フラン)と白ワインのハーフを頼む。お店、従業員さんの感じが良く、何よりも料理が美味しい。幸せざます。 1月5日(日) 8:00 眠った、眠った、よーく眠った。まるで自分ちのせんべい布団にくるまって、深い眠りについた時のように、この旅で一番快適に眠れた。うおー、とてもすがすがしいっす。 朝食で残したパンをポケットにしまって、ホテルを出る。天気、快晴。温かい日差しを体に浴びて、ガロンヌ川沿いをメドックの方に向かい、ひたすら歩く。今日の目的はシャトーを見つけることだ。すれ違う人達は、こんな僕に対しても「ボンジュール」と挨拶してくれる。何て良い所なのだろう、ボルドーって街は。早くに来てれば良かった。 歩けど、歩けど、ボルドーの街は果てしなく広く、ブドウ畑もシャトーのシャの字もまったく見えず、(本当にブドウ作ってんのか)と疑ってしまう。 だめです、歩き始めて2時間。これ以上、前には進めまへん、引き返します。せっかくボルドーに来たというのに、シャトーが見れずじまいか、残念。 12:30 街中まで戻り、ガロンヌ川沿いを歩いていると、日曜日ということもあってか、チーズ、ワイン、雑貨品、コーヒーなどの露店が並び、人垣ができていた。その中の一軒で、アジア人親子の営業する中華の露店があり、同じアジア人として、チャーハンと豚串を買い、対岸の家並みを眺めながらぱくつく。それより、なにより、久しぶりに顔を出した太陽の日差しが、一番のごちそう、うみゃぁ。 この街は、石畳のせまい路地がいくえにも繋がっていて、アホな顔をして歩いている僕なんかでも、ノスタルジックな気持ち(僕は、ノスタルジックの意味を知らない)になってしまう。その路地で見つけた高級レストラン(な、な、なんと、ムニュで150フラン〜350フランまでと、今までとはケタ違いで、レストランの前にBAR とかCAFE とか付いてない、純粋なレストラン)で今夜のディナーを、食べることに決め、目星を付ける。こりゃぁー、今まで身につけた、すべてのマナー、華麗なナイフ、フォークさばきの集大成を出さなければならないようですな。相手にとって不足はない。ふっふっふっ、燃えてきたぞー。決戦は18時30分ごろ。それまでホテルに帰って仮眠を取ろう。 17:30 シャワーを浴び、持っている服の中で一番まともな物(ズボンはジーンズ一本しか持ってきてないのでこれで決定。服はマドリードで買ったシャツにセーター)を着る。身だしなみも整えたし、今の僕にはこれが精一杯、入れてくれるよね、きっと。 まだ時間があるので、ホテルのカフェでコーヒーを入れてもらい、テレビを見てしばしくつろぐ。オーナーのおじさんは、「ボナペティ、ボナペティ」と聞いてくるも、わかんないので「メルシー」と答えておく。「ボナペティ」ってなに? 「ボナペティ」とは、フランス語で「召し上がれ」という意味だそうだ。後に知りました。 さて、いざ出陣だ。 お目当ての高級そうなレストランの前まで来るも、営業してないのです。(お昼は営業していたはずだったのに、そりゃないよー、せっかく気合入れて気張ってきたのに、何にもなんないでやんの)気の抜けた僕は店の前に立ち尽くす。(しょうがねえじゃねえか)と気を取り直して、昨日の感じの良かった駅前のレストランに急遽、変更する。 19:00 レストランに入り、90フランのムニュとハーフワイン(AC,オーメドック 1993年)を頼む。お客さんは僕の他にカップル二組と、初老のおじいさんが一人、あと、5歳くらいの女の子の誕生会を、仲良く楽しむ親子3人。そんな人達を眺めながらワインを飲む僕。「うまい」と思わず口に出てしまうほど、心の底からワインがうまいと久々に感じた。 ワインの余韻に浸る僕の前に、まず魚のスープが運ばれてきた。これはニースのレストランで食べたものと同じものだけど、ちょっとした違いは殻つきのエビと貝が、スープに浮いていることだ。どーやって食べればいいんだよ。だってこれ、手を使って食べちゃいけないんでしょ。 それでもナイフとフォークで、貝の方は巧いこと食べることが出来たけど、問題のエビだけは、どーにもなりません。辺りを見回し、人が見てないことを確認して、刹那の如く手で殻を剥き、一気にかぶりつく。何事も無かったかのように、すまし顔でワインを飲む。こんなもんよ。 さてさて、メインのステーキが運ばれてきました。でかいのなんのって、子供の顔くらいある大きなステーキに、タラーリ、タラリと食欲のそそる美味しそうなソースがかかっている。(こりゃぁー、夢にまで見た本当のステーキじゃないですか、いや憧れのビフテキだ)と狂わんばかりに心がときめく。鼻息荒く、フォークとナイフを手に持って、戦闘準備は完了です。攻撃開始。ステーキが喉を通り過ぎるたびに訪れる至福な幸福感に、自然とほほえみが訪れる。ぼかぁー、幸せですぅー。 ステーキで思い出しましたが、昔こんなことがありました。僕が初めてステーキをお店屋さんで食べたのは19歳くらいの時だった。仕事が終わって、たまに家族で外食しようと、近所の洋食屋さんに行きました。メニューにはグラタン、フライ、トンカツやハンバーグなどが並び、「好きなもの何でも食べろ」という父の一声に反応した僕は、「この一番高いサーロインステーキでもいいの」と聞き返すも、嬉しいことに父は「何でも食え」とのこと。僕はウェートレスさんに「サーロインステーキをお願いします」と、希望に満ちた声で頼み、メニューに載る堂々としたステーキの写真を楽しみに待った。やってきたステーキといえば、写真とは違い、肉が反り返ってしまうくらいに薄い代物だった。僕は失望に声を失った。 ステーキを至福の喜びと興奮の中食べ終え、デザートのチョコレートアイスクリームに舌鼓を打っている、その時、さっきまで仲良く誕生会を楽しんでいた親子達の席で、女の子がお父さんとお母さんに交互にすがりつき、悲しげな声をあげて泣きじゃくっています。そして、女の子は、両親二人の手をにぎらそうと、小さな手に力を込め必死に頑張るのです。 (どうしたんだろうか、両親の離婚のことだろうか?) どんな理由であれ、親は子供を悲しませてはいけないのです。もーいやだ、女の子の泣き顔は見たくない。僕の心の中がずたずたに壊れていくようだった。 その後、女の子は、おかあさんに引きずられ店を出ていった。店に寂しく一人ぽつんと残るお父さん。僕はそれを見ていられず、お勘定を済ませ外へ出る。 ホテルに向かう帰り道、(あの家族はどうなってしまうのか)などと、意味の無いことをくり返し考えてしまい、気が滅入ってしまう。あの子は、その小さな心に、張り裂けんばかりの深い悲しみを背負い、あとから、あとから、溢れ出る涙は、誰がぬぐい去ってくれるのでしょうか。ボルドーの漆黒の闇が、無力な僕の肩に重くのしかかる。 「しょせん、あの子は他人じゃないか、なぜお前がそんなに悲しむ事があるんだ。さも心配そうな顔をして、まるで君は偽善者だね。マドリードの時もそうさ、そんな悲しんでる自分を君は好きなんだろう」という醒めた自分も心の中に居て嫌になる。 1月6日(月) 8:30 二時間ほどしか眠ることが出来ず、苦しみの中、シャワーを浴び旅支度をする。さて、パリ行きのチケットでも買いに行くべか。 今日のボルドーは、乳白色の深い霧に包まれていて、まるで映画「デモンズ」の一場面のように、パッと前方からゾンビが現れても、おかしくないくらいだ。 駅では、チケットを買う人達の行列が幾つも出来ていた。僕は、ブロンドおねえさんチケット売りさんの所に並び、身振り、手振りでチケットを求める。が、いつもだったら、これだけで買えるはずのチケットが買えない、売ってくれません。なぜ、WHY。後ろを振り向いてみると、7、8人が並び、こっちをジロジロ(被害妄想の激しくなった僕にはそう見える)と見ている。フランス語では、どうにも通じないと思ったおねえさんは、「イングリッシュ、ど〜たら、こ〜たら、イエス、ノー」と英語で言ってきた。 何を言っても通じない僕に、だんだんとおねえさんの声は、怒り気味になってきた。そんな事、言われてもまるっきり分からんのに、こまったなー、どうしましょ。けど、奇麗なおねえさんは、怒った時の顔も奇麗だった。 よくよく、おねえさんの話をゆっくり聞いてみると、僕の指差していた時間の列車は満席で、一生懸命に言ってくれていたみたいだった。なんだ、そうならそうと、最初から言ってくれりゃよかったのに。言ってた、すいません、私が悪〜ございました。14時発パリ行きのチケットを買う。 9:30 ホテルに戻り、朝食を。オーナーさんが「いつ、日本に帰るんだ」とか「私は昔、パリに住んでた」とか、話し掛けてくれるが、僕にとっての言葉の壁はあまりにも高く、身振り、手振りだけでコミュニケーションするのも、どうやらここへんまでが限度だと、悲しく思う。 列車の発車時間までややしばらくあり、荷物をホテルに預かってもらい、ボルドーの街をもう一回りしてみる。途中、ワイン屋を見つけ、(せっかくボルドーに来たんだから、ワインでも買おう)と店に入る。薄暗い店内には、ワインがずらりと並んでいて、(こりゃー、本気だして選んでみるか)と気合は十分。ワインを蛍光燈に当ててみたり、ラベルを指でなぞって、首を振ってみたり(さも、俺はワイン通だぞ、うひょひょひょひょ)と店員さんに印象ずける。 10分ほど、そんなことをやってから、ワイン2本(サンテミリオン 81年を400フラン)を買い、意気揚々と駅まで戻る。 12:00 駅のベンチに座り、ぼーっと辺りを見回してみる。ヨーロッパに来たてのころの僕は、自分の居場所を確保するだけで精一杯だったのに、今は違う。目の前に外人さんの居る風景が、当たり前の日常になってしまった。それにしても、列車の待ち時間が長すぎる。 13:30 駅の売店にて、お徳用スニッカーズ(5本入り)を買う。この頃の僕は、スニッカーズ無しでは生きられない体になってしまった、どうしましょう。 ボルドーに別れを告げ、列車に乗り込みます。何故か今日は、周りの人にジロジロ見られる。まあ、こんな汚いカッコをしてるんだし、髪の毛も目茶苦茶、髭も伸びっぱなしときちゃ、見られて当然か。けど、そんなことは気にしちゃいられない、他人様のことなんてどーでもいいや。 走り出す列車の窓から見える景色は、一面のブドウ畑。やっと、ボルドーのブドウ畑を目前に垣間見ることができました、やっとです、やっと。ブドウ畑も見られたし、これで安心して眠ることができます。 #
by hidetruffe
| 2006-05-29 08:52
2006年 05月 29日
・・ パリす、再び編(パリ、ニース、マルセイユ)
12月30日(月) 22:35 列車にゆらり、揺られて八時間。あの忌まわしきドイツから、やっとのことで麗しのパリは東駅に帰ってまいりました。やはり時間が時間なだけに、東駅周辺の両替所すべて閉まっていて、ポケットの小銭をかき集めても、100フランしかもってない僕は、頭の中がパニックになる。が、(そうだ、俺の縄張り北駅周辺に行けばいいんだ)と思い立ち、息を切らせつつ北駅まで駆けて行き、ただ一件だけ営業していた換金率の悪い両替所に入り、一万円だけ両替する。 財布の中も温かくなり、ホテル探しに歩き回っていると、60代くらいのおじさんが寄ってきて「うちに泊まっていけ」と袖を引っ張ってきた。行ってみると、ホテルというよりも宿という言葉がぴったんこの所で、値段交渉の結果、一泊(シャワー、トイレ付き)で250フランと紙に書いてきたが、「チープ、チープ」と粘り、200フランまで、まけてもらう。北駅の前だし、物価の高いパリの街で、この値段なら安いよね。 おじさんの娘らしき人(結構、可愛かった)に部屋まで案内してもらい、「ボンソワール、マドモワゼル、メルシー」と挨拶とお礼をいうと、何故だか笑われてしまった。 パリに戻って来た感動のまま眠ってはいけない、酒を飲まなければいけない、それは僕の運命なのです。ホテルの出口でおじさんが「0時まで帰っておいでよ」といってきた。そんな言葉を耳に残し、BARへ駆け込み「ビール、シルブプレ」を2回、ウイスキーを指でさしロックで一杯、心に流し込む。酔っ払ってしまいました。何だかパリはいい街ですねぇー。 12月31日(火) 9:00 列車が通過するたびにガタガタと窓がゆれて、その振動で眼を覚ます。せっかく、ラグビーやっている夢を見てたのに。けど、ラグビーやった事、無いけどね。 シャワーを浴び、ホテルを出る。北駅より地下鉄に乗り、レオン駅に向かい、ニース行きのチケットをいとも簡単に買う。360フラン。 10:30 オルセー美術館の行列に震えるほどの寒さの中を、アホみたくってアホだけど、一時間も並び館内に入る。こんなに寒いとこに居たら、また風邪を引いてしまいそうで怖い。 朝から何も食べてはいず、昼にはちょっと早いが、オルセー美術館の二階で営業する、しゃれたレストランでランチをいただく。回りのほとんどの人達は、きれいなベベで身を着飾った日本人ばかりで、こきたないジャンバー姿の僕は進んで端のほうに座らしてもらう。 さて、注文です。いなかっぺの僕は、真っ先に赤ワインのハーフ、そして、ステーキを指でさし「シルブプレ」、あと、りんごのタルトを頼む。 ハーフワインを半分ほど飲み、気持ち良くなったころに、「どーだ、貧乏人。心して食え」とばかりに、待望のビーフステーキが運ばれてきました。(旅に出たらやっぱりステーキだよね)と思いつつ、ナイフでステーキを切るが全然切れません。しまいには皿からステーキが落ちてしまう。よくよく見れば何てことは無い、ナイフの背で切っていただけのことだった。そりゃ、なんぼやっても切れないはずだ、アホか。 りんごのタルトとカフェオレで食事を終わらせ、レストランを出る。150フランなり。 じっくりと一回り見学して、オルセー美術館の素晴らしさを実感するが、なにせ、人、人、人の人だかり、いなかっぺの僕は人ゴミに酔ってしまい気持ち悪くなってだめざます。もう一回、印象派の絵をさらっと見て、ここから出る事にしましょうか。ついでに、読む本がなくなったので、日本語で書かれた印象派の解説本を買う。ちょっとばかし勉強しよう。 14:30 オルセー美術館を出て、ちょっと歩いた所にあるカフェバーに入り、カウンター越しに、エスプレッソをシルブプレする。 路地裏のスケベ通り(胸元がどかんと開いたドレスを着たおねえさんや、エッチなグッズ屋さんなどなど)を二時間ほど見て歩き、なんとかホテルまでたどり着く。戻ってくる途中、東駅近くでコインランドリーを発見。すぐさま、洗濯物を両手に抱え、コインランドリーに行って洗濯を始める。そこを管理しているおばちゃんはとても親切な人で、最初から最後(洗濯物をたたむとこまで)までやってくれ、更に待ち時間の間に、財布の中でごちゃごちゃと混ざりあい、分けがわからなくなった各国のコイン(イギリス、フランス、スペイン、スイス、オーストリア、ドイツ)を国別に選別してくれて、とっても助かる。ありがたいっす。 洗濯も終わり、ホテルへ向かう帰り道、不意に鼻水がびろーんと垂れてきて、頭がずきずき痛んできた。もしかして、風邪引いちゃったんでしょうか。酒でも飲んで寝よーっと。ホテル下にあるカフェにて、牛乳をたっぷり入れた温かいコーヒーをゆっくり飲んでから、部屋に戻り仮眠をとる。 18:00 考えてみれば今日は、大晦日じゃないですか。てなことで、ホテル近くにあるレストランに入り、いつもより値段の高いムニュ(120フラン)とハーフワインを注文する。ムニュ(定食)はだいたい前菜3つ、メイン3つ、デザート3つから各ひとつずつを注文します。といってもメニューを読めないので、適当に選ぶのです。好き嫌いは言えず、もうギャンブルの世界です。 最初に運ばれてきた物は、パン6キレと、小さい皿に入ったピンク色の液体、それにきざんだネギがちらしてある。その液体をスープだと勘違いして、スプーンで上品にすくい飲んでみるが、とんでもない、むせ返り咳き込んでしまった。なんじゃこりゃ、何かにかけるタレやんけ。 そんなアホなことしているうちに、前菜に選んだ料理が運ばれてきました。ゲェ、な、な、なんと生ガキじゃあーりませんか。銀色の皿に氷とわかめが盛られ、その上に生ガキが6個も乗っかっていました。よりによって生ガキとは、どうしよう、僕は生ガキが食べられないんですよ。こんな物が出てきてしまうなんて、運命のいたずらでしょうか。せっかく出てきた料理だし、残すのも恥じだと思い、ピンクのタレをたっぷりかけてたべてみると、あら不思議、旨いじゃないですか。いや、美味しいよこれは。フランスで食べる生ガキと、日本で食べる生ガキは違うのかしら。 次に運ばれてきた物は、羊の骨付き肉のロースト、ドフィノワーズ添え。デザートのリンゴのタルトも、これまた旨いこれも美味しい。そのあと、ビールとウイスキーをちょろっと頼み、合計で267フランもかかってしまい青くなる。まあ、いいか、大晦日だし。 21:00 ほろ酔い加減でレストランをあとにする。新年を異国の地で迎えるに当たって、この程度の酔い方では申し訳が立たない。思い立ったが吉日、昨日のBARまで走って行き、たどたどしくも解り易いフランス語でボトルワインを注文するが、この店はグラス売りしかしてないらしく、しょうがなく「ルージュ、ヴァン」とグラスワインをもらう。 4杯ほど流し込み、ホテルに向けて千鳥足で帰る。またまた酔っ払ってしまいました。 1月1日(水) 2:00 『新年あけましておめでたって、あんた、そりゃ出産かいな』って、一人つっこみ一人ぼけかましている場合じゃない。人が気持ち良くすやすやと眠っていたら、このホテル、じゃなかった、この宿の一階にあるカフェバーから、新年を祝っての飲めや歌への大騒ぎが、けたたましく聞こえてきた。勘弁してくれよ、とてもじゃ無いけど、ナイーブで、デリケートで、ファンキーなこの僕には辛すぎる、眠れなくなってしまいました。もーいや。 9:00 5時くらいまでの、寝られなくてイライラしていた記憶はあるんだけど、知らないうちに眠ってしまったみたいだね。さて、シャワーでも浴びて、旅の支度でもしよーかな。それにしても寒い部屋だねここは。 澄みきった青空の中、ホテルを出て地下鉄に乗る。さすがに新年らしく、お客さんもまばらで閑散として、なんだか寂しい。 10:00 レオン駅構内にある待合室で休憩。日本人観光客5人組みが居たのでわざと近くに座り、さっき売店で読めないのに買ったフランス語の新聞を、これ見よがしに広げ「ふーん、シラクがね、へー、ああ、そうか」と聞こえるようにつぶやいてみた。何やってんだか俺は。 そんなアホな事はそうそうにやめて、朝食を食べにカフェに行く。サンドウィッチ、エスプレッソを口一杯に頬張り、フランスが誇る列車、TGVに乗り込む。さすがにカッコ良く、座り心地もサイコーにいい。さて、ニースざます、バカンスざます。 11:12 定刻通りに列車は青空の中を走り出しました。ホテルで眠れなかった分、ここで眠るとしよう、おやすみなさい。 15:00 目を覚ます。となりの外人さんに場所を尋ねてみると、もうすこしで港町マルセイユに着くとのこと。それじゃ、ニースまではそんなに時間は掛からないね。 外の風景は、赤くごつごつした岩肌の所々からはえる草木。それを純白のベールが、ふわっと包みこむかのようにかぶさる霧が幻想的に車窓を彩り(列車の旅も捨てたもんじゃないな)と、感動している僕の後ろのカップルが、「ジュテーム、チュッ、チュッ」と情熱的なキスを始めやがった。もう、僕の詩人気分が台無しだ。 17:35 予定の時間通り、ニースに到着。列車から降りて一番初めに目にした物は、線路脇に生えるヤシの木で(へぇー、フランスにもヤシの木が生えるんだ、ニースは南国なのね)と妙に感心してしまう。気温は6度と吐く息は白く、北海道生まれのオイラにとっちゃ、これくらいの寒さはセーターで歩き回って丁度良いぐらいだ。 駅前から海のほうに向け10分程歩き、ホテル『ノルマンディー』なる2つ星ホテルに入る。一泊(トイレ、シャワー、テレビ付き)で250フランと、久しぶりにテレビのある部屋に泊まれる事が何よりうれしく、ペルー日本大使館人質事件のニュースをしばしかじりついて見る。こぢんまりとした部屋でベッドが大きく、あとで眠りに就くのが、とても楽しみになる。そのためには、くたくたになるまで歩き回らなけりゃならないのです。 荷物をベッドに投げ置いて、夜のニースの街に出動だ。フロントの店員さんが「22時以降は危険だから、公園、飲み屋街などには近寄るな」と注意してくれた。「ウイ、ウイ」と返事をしておいたが、そんなこたぁ知ったこっちゃねえ。何がどうして危険なのかを、見なきゃならないのです僕は。 19:20 ニースの街並み、そして、人も空も何もかもが、ゆったり、のんびりとしていて、こんなにひねくれた僕でも穏やかな気持ちになってしまうから不思議です。 オレンジジュースとヨーグルトを街角の商店で買い、ホテルまで置きに戻る。フロントの人に教えてもらった、ラテンの香りがプンプンと匂うフランスレストランに入り、75フランのムニュ(イワシのマリネ、ニシンみたいな魚のソテー、ガトーショコラ)と赤ワインのフルボトル(AC,ボルドー 1994年)を頼む。 僕の使うナイフとフォークといったら、体の一部、手の如く、凄く上手になりました。6、7メートル先にある標的ぐらいなら、ナイフで命中させられるようになったほどである。料理を食べている最中に、こんな事を考えている自分にほとほと呆れてしまう。 隣の席に座っている、ワイン狂らしき太ったオヤジが、この店のオーナーに向かって「もっと良いワインは無いのか」みたいな事をしつこくいちゃもんつけていた。一方的に言われ続けていたオーナーは、反撃とばかりに古ぼけたワイン2本を奥から出してきて、オヤジのテーブルの上に誇らしげに置いた。ワイン狂のオヤジは二言、三言、オーナーと話をし、逃げるように帰っていった。なんじゃそりゃ。 21:00 レストランを出て、ホテル並びにある BARに入り、ポートワインとウイスキーを軽く流し込む。さて、帰って寝ようか。 1月2日(木) 2:00 顔に涼しい風を感じて、目が覚める。酔っ払って帰ってきて、窓を開けたまま眠ってしまったようだ。しょうがない、する事も無いので洗濯でもしよう。 8:00 ベッドから飛び出し、シャワーを浴びて朝食へ。(フランスパン、クロワッサン、オレンジジュース、コーヒー) ホテルを出る。今にも泣き出しそうな曇り空のニースの街を、30分かけてゆっくりと歩き抜け、浜辺に至る。 「これが地中海か」 青みがかったクリーム色の海が、心に溶けてしまいそうなほど気持ちいい。よせては引く波がコロコロと音をたて小石をつれ去っていき、その音が耳に心地好く聞こえ、心が安らいでいく。ああ、ここに来て良かった。もう一日、ニースのホテルに泊まり、この心地よき浜辺を体感しようとしみじみ思った。 11:30 突然降り出してきた土砂降りの中、展望台に登る。そのまま、マティス美術館まで傘も差さずに歩こうと試みるが、あまりの雨のすごさにパンツまでびしょ濡れになり、うち捨てられたみじめな犬の気持ちになる。 急いでホテルに引き返し、着替えてから、近くの高級そうなレストランに入り、優雅にランチと洒落込む。席に案内され、120フランのムニュ(魚のスープ、ヒレステーキ、フルーツポンチ)と赤ワインのハーフ(ACボルドー 1993年)を頼んで、きょろきょろ店内を見わたす。 客のほとんどが真っ昼間だというのに、ぴしっと正装していて、それも品の良さそうな老人達が大半を占めている繁盛店だ。従業員のお兄ちゃんは、てきぱき小気味良く客と厨房の間を行き来して働いている。 スープとステーキを食べ終え、何と「チーズはいかがですか」と聞いてきた。チーズの種類で知っているったら、カマンベールしか知らないので、それをよそってもらう。ちょっと高めのムニュだと、こうも違うのね。最後にはアルコール度数の高い食後酒までもサービスされる。いい店だなぁ。計算していたよりもお安いし。 次のレストランでの目標は、落ち着いてきょろきょろしないって事だなと思いつつ、レストランを出る。 15:00 駅前の雑貨屋にて、チープなチェック柄の傘と、中華屋さんでチャーハンを買い、ホテルに戻る。さっき、ずぶ濡れになったせいか、頭がボーっとする。風邪、引いちまったんだろうか、少しベッドで横になろう。 1月3日(金) 8:00 ステンレスで造られた13段の階段に、たくさんのゆで卵が潰れ、まとわり付いているのを、タオルで一所懸命ふき取っている夢を見る。なんのこっちゃ。シャワーを浴びて、旅支度。このところ、朝、腹が減って仕方が無い。(フランスパン、クロワッサン、オレンジジュース、コーヒー) ホテルをチェックアウトして駅に向かい、マルセイユ行きのチケットを買う。 9:00 3番ホームにて列車を待つ。8:15出発だというのに、まだ列車は来ません。隣のお兄ちゃんに「これモンテカルロ行きですか」と、ちんぷんかんぷんなことを聞いて不審がられる。マルセイユだろ、アホか。 やっと列車が来ました、出発です。空は今日もご機嫌ななめ。けれど、マルセイユではブイヤベースが待っています。 11:38 マルセイユ到着。駅は街を望む高台にあり、全体に少し古ぼけた感じのする港町が眼下に広がる。足の向くまま、坂を下って行き、路地裏にさしかかった所で、一軒の薄汚れた、一つ星のホテルに入る。まだ、清掃中とのことで、ややしばらく、穴の開いた長椅子で待たされているうちに、いやな予感が頭の中をよぎり、ここに入るんじゃなかったという後悔の念が沸いてきた。まぁいっか。 30分ほど待ち、部屋に案内されてみて驚愕、予感は的中。布団は埃と砂でざらざらしていて、至る所に穴が開いている。灰皿の吸い殻、ごみ箱のゴミまで捨ててない。清掃中って、何を片付け、何を清掃したのだろうか。オーノー、この旅、最大にして最低のホテルに泊まる事になってしまった。100フラン。 気を取り直して、港まで散策。ベンチに腰掛け、磯の香りを体いっぱいに吸い込み、また、歩き始める。 マルセイユの海に面した小高い丘に、天までとどけとばかりにそびえ立つ、ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院に向かい小雨の中を歩く。ガイドブックによると、(海抜162メートルの頂上に立つ)と書いてあるが、そんな事はお構いなしに進むのさ。 14:00 頂上のノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院に、たどり着いたころには小雨も止み、さっきまでの威勢の良さはどこにいったのか、疲れ果て、ベンチに横になる僕。そのかたわらでは、雨上がりの空に向け、シャボン玉を吹き続け遊んでいる近所の子供達が「きゃっ、きゃっ」と歓声をあげている。舞い上がるシャボン玉の後ろに広がるマルセイユの街並み。その空に淡く幻想的に架かる虹に、疲れた心も癒されてくよーな気がした。はぁー最高に素晴らしい、登って良かった。隣に居たおじさんに写真を撮ってくださいとお願いした。おじさんは笑顔で引き受けてくれ、「あの虹といっしょに写そう」と構図を選んでくれた。後日写真には虹が写っていなかった。使い捨てカメラのシャッタースピードでは写らないそうだ。残念。でも思い出に残る写真だった。 寺院を下り、港周辺を見て歩く。数多く並ぶレストランの店先には、港町よろしく、カキ貝が山のように積んであり、(よし、今日のディナーは生ガキ尽くし、飽きるほど食べよう)と心に誓い、そんなわけで昼は、サンドウィッチで我慢する。夜が待ちどおしい。さて、美術館でも行きましょうか。 15:30 地図を頼りに美術館を探して歩いたのだが発見できず、骨折り損でホテルに戻る。隣の部屋から、フランス語とも、英語とも、ドイツ語、スペイン語とも違う、今まで聞いたことの無い、話し声が聞こえてきて、(どこの国の人だろう)と、ちょっぴり弱気になる。だって、共同トイレの電球が壊れていて、真っ暗なんだもん。 「ホント、良く降りますことで。えっ、何がって、熊さん雨でやんすよ雨、雷さんまで登場しちゃいましたよ・・・・・」 やばい、暗くなりかけの部屋で落語をしゃべりだしちまった。ますます、狂ってきたようだ。そんなことは置いといて、すごい、すさまじい、窓ガラスが「ガラガラ」と音をたて振動する。こんなカミナリは生まれて初めて、音と光の共演に、観客の僕もビール片手に、ワクワク、ドキドキ興奮ぎみ。こんなに素晴らしいショーが見られたんだし、部屋で静かにしてましょう。 19:00 人一倍、落ち着きのない僕は、やはり静かにしてられず、(フォークとナイフを使う料理が食べたい)と考えも決まれば一目散、昼間歩いた港脇のレストラン街に直行だ。走った、走った、雨の中。傘も差さずに、「カキ、カキ、カキ」と呟きながら走った。ところがどっこい、すべてのレストランが休み。どーゆーことなの、昼しか営業しないの、それとも、この雷雨のせい、だめだ、食べたいと思ったら、何としても食べたくなるのが人情というもの。街中のレストランを見てまわるが、カバブーの店、マクドナルド、BAR,サンドウィッチの店、そんなとこしか営業してない。腹減った、サンドウィッチ(ビーフ、レタス増し)で妥協する。 ホテルに戻り、サンドウィッチとオレンジジュースの豪華なディナーをいただく。 1月4日(土) 9:00 バケツをひっくり返したという表現が、ぴったりの雨がカミナリと共に降り出してきた。もう少し朝寝の余韻を味わいたかったのだが、起きてからシャワーを浴び、旅支度をする。もう二度とこんなホテルには泊まらないぞ。 ホテルをチェックアウトし、駅へ。12時56分発、ボルドー行きを買ってしまう。出発まで時間があるので、ちょろっと街を散歩してから、駅前の食堂に入り、鳥モモの煮物とハーフワイン(赤)を頼み、ちびちび飲む。 12:30 ハーフワインくらいでほろ酔い気分になってしまった僕は、さすらいのハーモニカ吹きとして、童謡の「ふるさと」を気持ち良く吹いてしまう。その悲しげな音色に食堂のおじさんは涙を浮かべているかとおもえば、こっち指差して笑いやがる、なんてヤツだ。 酔いどれながら列車待ちの列に並び、(ノン、リザーブ)の席をいちはやく確保して横になり、眠る態勢を整える。何気なく地図を眺めていると、『コーモン空港』があった。時間さえあれば写真を撮りに行きたかった。少し、眠ります。おやすみなさい。 17:00 三時間ほど眠っただろうか。窓の外は雪景色に変わっていた。参ったな、ボルドーもこんな風に雪が積もっているのだろうか。早く着けつけボルドーへ。 #
by hidetruffe
| 2006-05-29 08:51
2006年 05月 29日
昔は昔、今は今編(ドイツ)
1ドイツマルク=80円くらい 13:00 やはり眠ることが出来なかった。雪が降りしきるザルツブルグ駅で降りて、ミュンヘン行きに乗り換える。安い席だと、早い者勝ちで座るところがない。もうちょっと、お金を出してもいいかな。 ドイツの列車に乗ってから、周りの人達の視線が冷たく、良い印象は無い。それに、パスポートチェックでは、うだうだと因縁つけられて小言を言われる。「パスポート読んでみろ」みたいなこと言われるし、もー最悪だ。腹たって、無言で横向いていたら居なくなった。どうなっているんだ、この国は。さすがはドイツ国民、他国民を受け入れない、何かをまだまだ持っている。 14:30 ビールで有名なミュンヘン市に到着。寒い、それでもウィーンより幾分は暖かいような気がする。早速ドイツマルクに両替をし、駅構内の売店で白いソーセージ、酢漬のキャベツを食べる。ドイツといえばソーセージでしょうか。 駅近くでホテルを探す。一件目のホテルは追い出されるように断られてしまい、しょうがなく路地裏の怪しげなホテルに入る。けど、そこのおじさんは味があって感じが良く、なおかつホテル代が安いときたもんだ。日本円で一泊 3000円なり。 荷物を置いてすぐに駅に向かい、二日後のパリ行きのチケットを買う。とってもじゃないが、こんな寒くて感じの悪いとこにゃ居られない。 16:00 地下街のバーで、サンドウィッチとココア(コーヒーを注文したけどココアがきた)を食べてから街中に繰り出す。もういやだ、30分ほど歩いているうちに、鼻毛が凍ってきてしまった。(勘弁してくれよー)と思いながら、地下鉄に逃げ込む。 地下鉄内で、どうしてか知らないが何もしてない僕が、私服警察官にパスポートチェックを受ける。別れ際にこいつらときたら屁をたれやがった、おちょくりやがって。俺が何をしたっていうんだ、ただ歩いてただけじゃねえか、腹立つ。 18:30 気を取り直してビアホールへ行く。そこでビアホールの歌を即興で作ってみました。「♪やって来ましたビアホール、さっぱりメニューが読めません、とりあえずビールを頼みましょう、本場はやっぱりうまいよなー」この歌が聞きたかったら僕に言ってください。 そんな訳で、まずビールを頼む。だだっ広いビアホールの中に、客がぽつんぽつんと居るだけなのに、何度声をかけてもぜんぜん注文を取りにこない。30分近くも待っているんだぞ俺は、ほかの客には注文取りに行っているのに、何でここには来ないんだ、暴れるぞ。 やっとウエイターが注文を取りに来た。それからの対応はまあまあよろしく、横を通りすぎるたびに声をかけてくれるようになり、少し気分が良くなる。そんなに悪い奴なんて居ないよね、俺って単純すぎるかな。鶏肉の焼いたもの、ジャガイモのスープを頼む。 19:30 ビアホールを出て、寒さに身を震わせながらホテルに戻る。が、部屋のカギをまわせどまわせど開きません。管理人のおじさんを呼び、2、3分ドアとの格闘の末、カギが曲がりながらも何とか中に入る事が出来、一安心。安ホテルだけあって、どこもここも壊れ気味。我慢しなきゃ。 隙間風がぴゅーぴゅーと、音を立てながら入ってきて、何故か妙にうれしくなってしまう、今日この頃の僕であります。眠ろうかな。 12月29日(日) 8:40 ホテルを出て地下鉄に乗り、ドイツ博物館に入る。科学、天文、産業、生活と色々な物が網羅、展示されていて、大人の僕でもまあまあ楽しめた。3時間、じっくり見学し博物館を出る。 街中のショーウインドウを覗きつつ、ぶらぶら歩いていると、警察官が近寄ってきて「パスポート見せろ」だの、ごちゃごちゃ言ってきた。何なんだこの態度は、何なんだこの国は、ガイドブックには(旅行者に優しい国)って書いてあったぞ、どこがどう優しい国なんだろうか、腹立つ。 12:40 ふつふつと沸き上がる怒りを抑え、ホテル近くのビアホールで食事。(鶏肉のロースト、スープ、ポテトフライ) ここドイツに来てから、余り美味しい料理には当たってない。何から何まで腹が立つ。 腹一杯になったころには、怒りも幾分和らぎ、(こー悪い事ばかりじゃないよな)と気を取り直し、美術館に行くために地下鉄へ。まただよ、今度は私服警官に尋問され、地下鉄の切符は調べられるし、パスポートもチェックされる。やましい事は一切してない僕なのにどうして。いやな目つきで、なんだか分からんことをしゃべってきやがる。頭に血が昇るほど腹が立ち、何を聞かれても横向いて知らん振りする事に決める。その警官はぶつぶつ何か言いながら立ち去った。どうなってんだこの国は、善良な旅行者に対して、因縁つけるとは何事だ、もう嫌だこんな所は、絶対来ないぞドイツには。 15:00 寒さと怒りの中、ノイエ・ピナコテーク美術館まで歩き、ゴッホのひまわり、マネのアトリエでの朝食などを、閉館時間ぎりぎりまで見学する。 19:00 うろちょろ街を歩き、ホテルに戻る。途中のファーストフードで買い込んだマスタードチキンとコーラを部屋で食べる事にして、外出は控える。どうせ、ろくなことは無いんだから。 12月30日(月) 7:00 おしっこが漏れそうになり、焦って目を覚ます。この歳で漏らしたら、恥ずかしくて切腹物だよね。けど、人に言わなきゃばれるもんじゃない、これって。 シャワーを浴びて旅支度、準備万端です。昨日、枕の下に置いといたチップが、まだ残っていた。ドイツって、チップを貰う習慣は無いんでしょうか。それとも、おじさんは貧しそうな僕を心配して、取らなかったのかな。まあいいや、倍のお金を置いていこう。 部屋の鍵をおじさんに渡しに行くが、まだ睡眠中。悪いとは思ったが、何回もノックしておじさんに起きてもらう。毛糸の帽子にパジャマ姿の寝ぼけたおじさんに鍵を渡し、ホテルを後にする。さて、寒くて目つきの悪い、この国ともおさらばです。 8:15 街角のパン屋に入り、サンドウィッチを2種類(生ハム、チーズ)買い、駅に向かう。 駅構内でまたもや、私服警察官の尋問にあう。まあ、この警察官の態度は、まだ良かったからいいけど、どうして僕は、何度も何度も尋問されるのでしょうか。これから、ドイツ国内でお金を使うことは止めにする。 列車に乗り込み、いよいよドイツから出発です、うれピー。じゃあねミュンヘン、なんの感傷も全くありません。外は細かい粉雪が舞い踊り、寒さも一段と厳しく感じられます。こんな寒いとこに住んでいる奴等だもの、性格も目つきも悪くなって当然か。早く列車よ発車してくれ。そうだ、忘れてならない、この列車にはマンハイムって所で、乗り換えがあるんだっけ。気をつけないと、ベルリンまで行っちゃうんだよね。そんなところに行っちゃったら最悪だもんね。 列車が動き出して、安心したのか腹が減ってきました。さっき買ったチーズサンドウィッチを、当たり前の如くパクつく。近頃わたくし、米の飯が食べたいとは、別に思わなくなりました、はい。 11:33 マンハイム到着。急いで列車を降りてホームの掲示板に向かい、乗り換えの番号を調べ、すぐにその番号の列車に乗りこみ席に座る。が、なんか変だぞ。何か得体の知れない不安感に襲われた僕は、一旦、ホームの駅員に尋ねようとドアのところに来るも、ドアが今まさに閉まったばっかりだった。近くに居たドイツ青年に「この列車はパリ行きですか」と拙い英語で尋ねてみる。青年はまるで冷酷な裁判官が、罪人たる僕に対し断罪を宣告するかのように「ベルリン」と言い放った。 「げぇ!!!!!!!!!!!!!!!!」 なんとアホの僕は、さっきと同じ列車に乗ってしまったのだった。きづいた時にゃ、列車は颯爽と進み始め、ホームが見る見るうちに遠ざかって行き、スピードメーターも178キロを表示して快調に飛ばしていきます。なんてことだろうか、僕はドイツから逃げられないってことか、いやじゃー。全身の力が抜けて、へろへろにへたり込んでしまう。またやってしまった、アホか〜〜〜。 12:15 止むを得ず、フランクフルトで降りる。窓口のおばちゃんにチケットのキャンセルをお願いするが、時間指定のチケットということもあり不可能で、僕の話すドイツ語もおばちゃんにはまるっきり通じなく、その事が癇に触ったのか、急に大声を張りあげ立ち上がり、大きなゼスチャーで「あっちいけ」をしてきた。なんて国だ。逃げるようにその場を離れ、違う窓口でパリ行きの新しいチケットを買うはめになる、無様な僕。 発車まで時間があり、じっとしていては、ツーリスト精神(?)に反するので、フランクフルトの街中を探索してみることにする。ミュンヘンより雪は多く積もっているが、その分、気温は温かく、歩き回るにはちょうど良い。だが、街角にたむろする若者達の民度の低下が著しく、爆竹を鳴らし奇声を発するヤツら、徒党を組み肩で風きるヤツら。何もかもがすさんで見え、狂暴化の危険性を大いに感じる。 街中の視察も終え、駅構内にある、アジア系の人が経営する中華屋さんで、八宝菜ごはんと春巻を食べる。うまい、うまい、うまい。ご飯に粘り気があって、まるで日本のご飯を食べているみたいだ。おもわず「うまい、うまい」と声を出し、涙があふれそうになってしまうほど美味しい。今までの「オレってついてないなぁ」という卑屈な気分が、一気にハッピーな気持ちに変わってしまった。うまかったなぁー。きっと僕はこの感動を味わうために、ここフランクフルトまで来たんだ。そうじゃなけりゃ、悲しすぎて、アホすぎる。 14:40 改めて列車に乗り、席に座る。これで本当に、本当に、本当に、ドイツともお別れだ。 「列車よ、早く力の限り走り出せ、早く走り出しておくれ」と、悲痛な心の叫びを繰り返す僕は、どっと疲れが出てしまったのか、浅い眠りに就いてしまう。 18:30 目を覚ます。車内販売の「ダンケ(ドイツ語でありがとう)」という言葉が「メルシー(フランス語でありがとう)」に変わっていた。なぬ、もしかして、もしかすると、そうです、フランス国内に入った模様です。とてもおめでたいことにて、パリに着いたらボトルワインを開けようと考えてしまいます。うれしいなぁー。 朝、ミュンヘンで買い残しておいた、生ハムのサンドウィッチを口いっぱいに頬張っている、その時、フランス警察によるパスポートのチェックが始まりました。隣に座っているターバンをまいたインドの人は、念入りにチェックされていたが、僕といえばまるっきり素通り、何も調べてくれません。ドイツとはおお違い、何だったんでしょうか、あの国は。けれど、少しぐらい調べてくれないと寂しいものですね。 21:00 まだ着かない。こんなに到着が待ちどおしく思ったのは久しぶり。あの乗り換えの間違えさえ無かったら、夕方にはパリに着いていたはずなのに、全部、僕が悪いのさ、あはんはん。 僕の回りの客達は「ゴホン、ゴホン」と咳ばかりしやがる。また、風邪を引いちまうじゃねーかよ、もーいや、かんべんしてよ。風邪は懲り懲りです。 #
by hidetruffe
| 2006-05-29 08:51
2005年 11月 10日
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